誰かから非難されたり、責められていると感じる時に確認すること

大阪と神奈川を今は飛行機で行き来することが多いのですが、四季折々の富士山の登頂の様子を見ることができます。すっかり秋になり、もう少ししたら、富士山の山頂も白い帽子が見え始めるのでしょうね。

私はまだ富士山には登ったことはありませんが、今年は奈良の三輪山に4年振りに登りに行きました。初めて登った時、裸足で登ったのですが、とても気持ち良く感動したことだけを覚えていて、また登りたい、と楽しみにしながら、今回も裸足で登り始めたんです。

その時、アレ?確かにキツかった記憶もあるけど、こんなにキツかったっけ?痛かったっけ?と、裸足で登ったことを少し後悔し始めていました。

人って面白いもので、感動が大きいと、辛かったことは忘れてしまうようです^^

 

 

 

あなたは、今まで、きっとたくさんの山を越えてきたでしょう

今はもう、そんな意識もなく、忘れてしまっているでしょうけれど・・・

 

勇気を持って、一歩踏み出し

あるひとつの山を登り始め

その山頂へ辿り着いたとき

そこから見える光景に、いろんな思いを抱えるのだと思います

 

セラピーを受けた人たちが、感じられる、その思いは

無駄なことは何ひとつなかった
感謝しかない
愛されている(愛されていた)
すべて必然だった
最善なことだった
よく頑張ってきた
自分が愛しい

などの言葉で表現されます

 

あなたの人生には
あなたにとっての最善最適なことが
すべて準備されています

 

どんなに今、辛い最中にいて、そんな風には思えないとしても
勇気を出して、そのひとつの山頂へ辿り着いた時
きっと見えてくるはずです

 

私は、これを体験したかったのだ、体験する必要があったのだと・・・

 

だから、信じて欲しい
あなた自身を・・・
あなたが決めてきたシナリオなのだと・・・

 

休みたい時は、休んでください
頑張りたい時は、歩いてください
この山は、もう登り続けたくない、と感じるなら
下りればいいんです

 

ぜんぶ、自分で決めたらいいのです
山登りは、競争ではありません
下りたって、誰からも責められたりしません

 

もし、誰かから非難されたり、責められていると感じるなら・・・

 

途中で諦めること、休むことに対して

あなたがあなた自身を責めているのではないでしょうか

目の前の人は、そんなあなたの内側を見せてくれているだけです

 

あなたのペースで、あなたが好きなように歩いたらいいんですよ

どうぞ、あなたがあなた自身に寄り添い、支えてあげてください

唯一、あなたの思う通りにしてくれるのが、あなた自身なのですから

 

 

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ここでいう『山を登る』というのは

自分自身に向き合った、という意味合いです
自分の人生に責任を持つ、という意味合いです

自分の人生に責任を持つ、というのは
誰かや何かのせいにしない、ということ
すべての選択は自分がしているのだ、ということ

その誰かや何かのせいにしていることさえも
自分が選択しているのだ、ということです

 

私たちは、誰かや何かのせいにしていた方がラクだ、と勘違いしているのです

 

「私がこの山を登ろうと思ったわけではない
登れと言われたんだ、本当は登りたくなかったのに・・・
だから、途中で休んでしまうのも、仕方ないだろ!
挫折したってしょうがないだろ!」

 

登れと言われたから、登り始めた、のは、あなたです
登れと言われても、登らないという選択もできたはずなんです

 

そこに気づいた時、あなたは、自分で責任を持とうと思い始めます
そして、登りきったり、下りようと決意した時に
あなたにとって、その経験が必要だったことに気づくのですね

 

すると、悪役だと思ってた人が
あなたが体験したいことをさせるために
わざわざ悪役を演じてくれていたんだ、と思え
その時、すべてのことが感謝に変わってゆくのかもしれません