不登校体験記 その6 〜不登校になってくれて有り難う〜
子どもの教育費、親としては、頭を抱えますよね。
ただ私はシングルマザーだったこともあって、当たり前に『奨学金』でしょ♪ と思ってました。なので、お金のことに問題意識は、まったくなかったのです。
それに加えて、当時、私が勤めていた会社の研究職をしている人達の多くは、奨学金で大学を出て社会人になって返してきた、あるいは返済中の人が多く、いろいろと話しを聞いていたので、安心していました。
確かに22,3歳の時に、何百万円もの借金を背負う、と思ったら、怖い感覚もあるでしょう。そして親は、そんな思いをさせることに罪悪感を持つかもしれません。
でも、金利は安いし長期で返済が可能で、万が一、定職に就けなかったとしてもバイトすれば、返せる額、とシングルマザーとして、いろいろ乗り切ってきた私の感覚から言えば、まったく問題ないことでした。
教育、それに関わる費用も含め、私の役目は高校まで。それより先は、自分が勉強したいと思って行くんだから『奨学金』で行ってね♪ というのが私のやり方。娘も息子にも、それまでかけてきた学資保険を入学金と1年目の前期分に当て、それ以外は、奨学金で通ってもらいました。
これをあたなに押し付けるわけではなく、こんなのもアリなんだな、と参考にしてくださればいいかと思います。
小学生の頃から、宿題も勉強も、ほぼ、やってこなかった息子。中学時代は不登校、高校では登校拒否。しかし・・・専門学校では、3年間、ものすごく成績優秀でした。先生にも、よく声をかけてもらって、いろんなことを積極的にこなしていました。
自分がやりたいと思ったこと、自分が興味あることって『学び』が、まるで遊びのように、楽しくてしょうがないんですよね。
そういえば・・・私も高校生の時、卒業できるギリギリの出席率と成績で、とりあえずOLやったけど、つまらなくて辞め、ひょんなことから美容学校に行った時は、夜はクラブでバイトしながらも、とても成績優秀だったことを思い出しました(笑)
不登校、登校拒否、高校中退の末、ストレートで進学した子達より2年遅れて専門学校に入った彼は、通学中に国家資格のインテリアコーディネーターをとり、就活は彼がここ!と決めた『1社のみ』。それも外資系の大手インテリア会社です。
「え?そこ、決まらなかったらどうするの?」と聞けば、
「ココ以外に行きたいところないから」と彼は言いました。
で、そこ決まらなかったらどうするの!ま、いっか・・・きっと受かるんでしょう・・・と、私は心配することもなく。『彼が1社しか受けないと決めたからには、そういうことなんだろうな』と、根拠のない自信がありました。
なぜそんな風に思えたかといえば、息子は19歳の時、それまでの彼とは180度、激変したからです。(何が起こったかは、またの機会に)
そして3回の面接をくぐり抜け、本当に内定いただき、さらに希望してた大阪勤務が決まり、社会人となって3年目を過ごしています。
『人って、面白いな。人の可能性って、スゴいな。』ということを身近な存在に味合わせてもらい、私はラッキーだと思います。
息子は小さい頃から、ずっと自分の考え、自分の気持ちをただただ大切に、尊重してきただけなのかもしれません。自分が心地良い方を選択しながら、自分で決めた通りを生きてきただけなんですね。
その結果として、したくない勉強はしない、自分に心地良くない場所には身を置かない、それが不登校や登校拒否という形に現れていただけなのだと、私が体験してきて思ったことです。私が悩んでいた、心配してたことなんて、彼の人生には何の影響もなかったな・・・と感じました。
心配とは、誰が安心するためなのでしょう?信頼とは、なんでしょう?
そんなことを私は息子から、学ばせてもらいました。
不登校になってくれて有り難う、という感謝の気持ちで一杯です。