『求めよ、さらば与えられん』からの大きなご縁
実は昨日、ふとしたことから古いアメーバブログ(2006年〜)を見つけ、懐かしく読んでいたら、息子の不登校の頃の私の気持ちが詳細に残っていました。他にもいろいろ日常のことが書かれてますが(笑)。
その中のある一つのできごとから、とても多くのご縁をいただいていたことを思い出したので、記録として残したくて書いています。
『求めよ、さらば与えられん』
私はクリスチャンではありませんが、過去のブログを読み返し、ふと胸に広がった言葉です。
2003年の弟の結婚式以来、お付き合いのあった牧師の David(日本人です)から、「僕の家にアーサーが来て、妻の英会話の生徒さんたち向けに、バイリンガルで話が聞けるので良ければ英語の練習にもなるし、来ませんか?」というメールをいただきました。2006年3月のことです。
弟の結婚式で、私は初めて教会(山手ロイストン教会)での式を体験し、とても感動したのを覚えています。弟の結婚が嬉しかったことよりも、私自身が離婚直後だったこともあって、牧師さんの言葉がとても胸に響いたんだと思います。
あまりに感動したので、私はHPを調べてコンタクトを取り、それからDavidとの交流が始りました。(私は、感動すると即行動しちゃう癖があります。)
最初は、クリスマス礼拝のイベントや、Davidの牧師仲間で、シンガーソングライターでもあるギャリソン・デイビス(後に、彼のオフィシャルサイトの日本版を作成をしたり、自宅にもお招きいただいて良くしてもらいました。)のライブの案内をいただいて、子どもや友人を誘って参加したり、とメールでやり取りをしてゆく中で、不登校になった息子のことをDavidに話したのだと思います。
ギャリソンのライブに娘と行った時、MCをしていたのが『アーサー・ホーランド』でした。
革ジャンを着てハーレーを乗り回す、タトゥーの入った不良牧師?!という彼にとても興味を持ち、すでに著書を読んでいました。その人が、目の前にいる!と、驚きと嬉しさとがあったことを思い出します。
Davidから案内をもらった時、「あのアーサーに直接会うことができる。なんとか息子を連れて行きたい!」そんなことを強く思いました。
ー 過去のブログ(日記ブログです)から抜粋 ー
「お父さんがアメリカ人で、お母さんが日本人のハーフでね、いつも皮ジャン来てハーレーに乗ってて、ヤクザを更正させたり、とにかく、面白い牧師さんなんだよ。」と言うと、「へぇ。」と少し関心を見せたけれど、「髪が伸びてるから外に出たくないなぁ。」と、あまり乗り気ではなかった。
無理強いしてもしょうがないので、それ以上あまり話さなかった。
それが2、3日前になって急に「日曜日、行くんでしょ?」と、息子が言ってきて、ちょっとびっくり。この子は行きたいのかもしれない、そう思った。
今回は何か大きな力に動かされているような気がしてならなかった。
私と息子と二人でDavidのお宅にお邪魔した。
ライブの時には、アーサーの姿を遠目でしか認識できなかったのに、普通のお家のリビングの部屋で、ほんの10数名で独占しちゃうって、なんだかスゴイことのような気がした。
私の世界観が彼の中にあるようで、素直に全ての言葉が受け入れられる。何故か私はクリスチャンではないのに、いつも回りには牧師さんがいて、彼らの言葉を耳にする機会があったのだけど、アーサーの話は全然それらと違う。
彼が出している最新の本(不良牧師Ⅱ)のプロローグは「俺は牧師だ。だが俺は宗教は大嫌いだ。」という一説から始まっている。まだ2/3を読み終えたところだけれど、とても良い本です。大人にも子供にも読んでほしい。
息子は彼の話を一生懸命聞いていたようで、「お前一生懸命聞いてたな!」と、アーサーに声をかけてもらってました。彼のハーレーの前で写真を撮ってもらったり、本にサインもしてもらっちゃった!
アーサーが帰ったあとに、私と息子だけがバスの時間を待ってDavid宅に残っていた時、「どんな話がよかった?」と、息子がDavidの奥さんに聞かれ、「アウシュビッツの夕陽の話」と言っていた。
ヴィクトール・フランクル著「夜と霧」についての話から、「どんな人が生き延びたと思いますか?」という問いかけがあり、「感動の心を持った人」だとアーサーが話をした。息子にはその話が一番印象的だったらしい。
盛りだくさんの話から印象に残るものというのは人それぞれで、今の彼にはそれが残ったんだ。。。と思った。
なんにせよ、アーサーの話が彼の頭の中を通りすぎるのではなく、たった一つでもいいから彼の心の中に入ってくれたらいい。そう思い、帰りに私からアーサーの話については何も触れず、カッコ良かったねぇ!で、済ませておいた。
アーサーの話だけで充分だったからだ。余計な感想の言い合いっこは必要なかった。
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しばらく抜け落ちていた記憶です。この2ヶ月後、息子は学校に行くことができました。
Davidには、たくさんのご縁をいただきました。Davidへ導いてくれたのは、弟の結婚式。こうしてご縁というのは、予測しないところで、その時の自分に必要なものが繋がっているんですね。
私の離婚後の自分の傷を癒してくれたのは、教会と、この3人の牧師さん達だったこと、そして息子の不登校で悩んでいた時に、一筋の光を見せてくれたのがアーサーだったこと。
何か必要があって私が今、思い出したのだとしたら・・・
Davidはどうしているんだろう?いつから連絡が途絶えたんだろう?この思い出したタイミングで、息子のことを報告しなくちゃ。ロイストン教会に、まだいるんだろうか?教会へも足を運んでみよう、アーサーにも会いに行こう、と何かに追い立てられるような感じがしています。
まず、Davidに手紙を出してみよう、そう思っています。
『求めよ、さらば与えられん』
この言葉が胸に大きく広がりました。
そして、与えていただいたものは、感謝を込めて必要な人に届くよう、私は、もっと丁寧に言葉を綴っていかなければ、と強く感じています。姿勢を正すタイミングでもあったようです。
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