不登校のお子さんを持つあなたに伝えたい、ただ一つのこと
2月10日に茅ヶ崎市にあるNPO法人ワーコレたんぽぽひろば主催、県立青少年センター共催。神奈川県ひきこもり地域理解促進事業の一環として、不登校について自分の経験を交えながら、いろいろとお話をさせていただきました。(いただいたご感想はこちら→)
話している最中、思わずウルっときて涙声になる場面がありました。
その時、話しながら俯瞰している私がいました。
「あぁ、あの頃の話しをする時、まだ泣いてしまいそうになる私がいるんだね。」
「本当に頑張ってたもんね。」
「息子は私が投げた酷い言葉をそのまま受け止めず、流してくれて、本当に良かったなぁ、助かったなぁ。助けてもらったんだなぁ。」
と、辛かった、という感覚ではなく、息子に対する感謝の念が湧き上がっていた感じです。
私が不登校についてお伝えする際、「やれることはやりきった。その後に残ったものとして、信頼するほかなかった」というお話しをします。
その時の私にできることは、すべてやりきった。もう何もできない・・・。
そして、心の中に残ったものというのは何だったかといえば、不登校体験記でも書いていますが、
「この子はこのままで終わるはずがない」
「だって私の子だもの、私はこの子を愛してきたもの」
という、私の子どもへ向けた絶対的な愛における信頼でした。
「信用」と「信頼」の違い、言えますか?
これはビジネスのセミナーでもお話しするのですが、
信用とは・・・
これまでの結果を見て、その結果があるから、あなたを信じましょう、ということです。
ビジネスの世界だけにとどまらず、あらゆる人間関係で、親子関係でも、こちらの比重がどうしても高くなりがちです。なぜなら、教育そのものが、結果重視の評価の世界だからです。
信用されるために結果を出してゆく、出し続けることで信頼が得られる、だから失敗は許されないし、衰退もできない、今より更に上へ上へ・・・というがんじがらめの流れが強いです。
ただ、これからの時代は、この流れは変わってゆくのではないかと感じてます。
今回のような活動をされている団体さんもどんどん増えていますしね。今までのような結果ばかりを追う社会の中で、大人が限界を迎えているからです。職場での人間関係やパワハラ、働き方などからバランスを崩し、繰り返し転職したり、ウツや適応障害など、顕著に現れていますよね。
そして、大人の世界の縮図が子ども達の世界です。その一つの現れが、いじめや不登校、引きこもりといったものでしょう。
そして信頼とは、その人の未来も含め、その人の可能性を信じることです。
さらに、信頼とは、「人としての存在そのもの」だと私は捉えています。
なので、信じるもなにもないのですが・・・どういうことかをあえて言葉にしてみるなら、あなたの存在そのものに価値があり、過去も、現在も、未来も、すべてを含め、無限の可能性を含んだ存在であること、ということをあなたが信じている状態である、と私は捉えています。
自分の命への信頼です。なにができてもできなくても、それであなたの価値が決まるわけではなく、そのままで存在していていいということです。
結局、相手を信じようとする前に、自分自身を信じられるかどうかなのです。自分の命を肯定できずに、他者を認められますか?ということですね。
「他者の言うことは、信じられるけど、自分のこと、自分の考えは信じられない。」
という人がとても多いですが、それは私達が成長してくる中で、親から育てられる過程で、受けてきた影響による癖です。小さい頃は、親、養育者の言うことが正しいと思い込んで生きてきたので、その影響は大きいですよね。
ですが、これはただの癖、習慣です。
そして、私達は、自分の中の愛が足りないと「錯覚」しているんです。
親の愛(=言う通り、期待)に応えられない、こんな自分は酷い人間、ダメな人間だから、それを知られないよう、世間的に良い母、良い妻、正しい人間になるために頑張り、多数派の常識に合うように振舞わなくてはならずに苦しくなる。
または、期待をお子さんに乗せてしまったり、過剰に誰かに認めてもらおう、褒めてもらおうとしたりと、足りない分を誰かから搾取してしまう癖があったりします。
自分を信じられない人の多くは、自分自身を受容できてません。そして自己否定をしながら、良いとされる何かになろうとして、頑張って頑張って苦しくなります。
まずは、自分が、どんな自分も受け入れる、認めてゆく、という練習が必要なんです。
それが自分育てです。
不登校のお子さんをお持ちの親御さんへのお話しでも、部下育てで苦労しているリーダーさん達にも、結局伝えるのは、同じこと、自分を育て直しましょう、ということです。
あなたがダメだと責めているわけでも、誰かが悪いわけでもありません。私たちは、無意識のうちに、多くの洗脳をされてきているので気づけなかっただけですから・・・。私達の親も、同じように「当たり前」を植え付けられてきたのです。
それらが連鎖で凝縮されてきて、限界に達してきているから弱いところが表面化してきたのです。だからね、チャンスなんですよ。
だから不登校になってくれて、ありがとうね、と感謝なんです。私は、そのように感じています。
愛は、誰の中にもあるんです、十分なほど。なぜなら私達は、愛そのものだから。
誰かと比べて足りない気がしているだけです。ただ当たり前過ぎて、見えていない、わからないだけ。何か辛い体験があって歪んでしまっていたり、うまく表現できなかったりしているだけなんです。
自分を否定してしまうことすら、あなたの中の愛なんですよ。自分を守ろうとしている現れなんです。
あなたの中に、愛はあります。あなたがあなた自身をちゃんと愛してくれている。
その証拠に、自分に嘘をついて、人に合わせて生きていると、「辛い」「苦しい」と感じるのだから・・・。
どうぞ、お子さんや旦那さん、身近な人間関係の中で、問題だと思う事象があるなら、それをなんとかしようとせず、あなたがあなた自身に安心を感じられるよう、自分の中の愛に気づいてゆきましょう。思い出してゆきましょう。どんな自分も受け入れてゆく練習をしてゆきましょう。
私にはそのお手伝いができます。
ひとりで頑張らないで、会いにきてくださいね。
あなたがあなた自身に安心できるようになると、お子さんも安心して、そのうちに、家から出てゆきますから・・・。
不登校や引きこもりのお子さんをお持ちで辛かったり、この先どうなってしまうんだろう・・・と悩んで苦しんでいるあなたに、たった一つ伝えたいことは、、
あなたの中にある愛に気づいてあげれば、何が起こっていても大丈夫!ということです。
いただいたご感想の中に、旦那さんのお兄さんが、いつか仕事してくれるだろうと待つこと20年。ずっとニートなのを見ていて、自分の子どもをこのまま待っていることに不安を感じるというようなことが書かれていました。これについては、また別の記事にしてみたいと思います。
・とてもやわらかく、引き込まれるお話でした。入りやすい言葉で無理なく理解することができるお話をしていただきました。
・否定命令語の言い換えは、1回やると思いつくのが早くなります。スゴイと思いました。
私は教育職についていながら、言葉の使い方がぞんざいでした。気をつけてないわけではないのですが、今日のように具体的に自分のことで考えたことがなかった気がします。